親と子供の心が離れる~児童虐待の問題を抱えて~

児童虐待やイジメ、自殺など子供に関する様々な問題がある今、大人、特に親がどう子供に接していくかが問われている。

自分がない子ども達

      2015/10/14

子供問題

「子どもが心も体も脆く弱くなっている。これでは将半にか思いやられるではないか」という心配を、人からも聞くし、私自身もしきりにそれか思う。小さな相談室を自営していて、なによりも気になるのは、いまの子ども達に、あ叱りにも自分がたい、ということである。自分というものをもたなさすぎる、意識しなさすyるということである(むかしもそうだったが、ある面で、いまの方がずっとひどくなっている)。

私は二十歳代の後半に、しばらくの間、家庭がととのわないために性格形成にもひずみの生じた、いわゆる非行の傾向をもつ巾学生達とともに年月をすごした体験がある。それぞれの事情は、両親がそろっていないとか、親と暮した経験がないとかで、生活程度も普通ではなくて、ずっと窮迫し余裕のない生活条件下に育った子ども達だった。いねば、普通の家庭からははずれた、特別な生活状態の中でのゆがみひずみというべき大きな負荷を背負い込まされた子ども達だった。

そのときしきりに思ったのは、家庭というものの大切さだった。子どもは家で育つべきだ、と心から思ったのは、また、養護施設で育った子ども達とのかかおりを通してのことでもあった。
親が育てられずにやむなく代りの家庭、つまり里親家庭で大きくなっていく子ども達を、側面から見させてもらうようになってから、私の三十歳代は、ちぎりど里親家庭を一軒でも多くふやすために民間活動に頑張って参加した十年であったわけだが、労苫と喜びのうずまく里親家庭から教えられたことは、誰が意識しようとすまいと、子どもの成長には、なんという大きな力で、家庭の人間関係が働いているかということであった。

 その後私は、自分ひとりで運営する小さな相談室を神戸の町の片すみに開設した。ところが、その存在を伝え聞いて訪ねてきてくれる人々は、まず、ごく普通の家庭、つまり中程度の暮し向きで、家族に欠損のない、外目には問題のあるようには見えない、したがって社会福祉や児童福祉の制度上の援助を受ける対象とはならない家庭ばかりといってよいのである。

 相談内容はすべて、子どもの成育途上のつまずきについてである。そのつまずきとは、あたかも私が以前に、保護者欠損の家庭の子ども達に見たあの弱さ脆さにくらべて、症状の違いはあっても、程度のひどさは匹敵するものであり、私の驚きは大きかった。「普通の家で育っても、こんなに問題がある!」と。以来私は、はばからずにこう口にするようになった。

「戦後、集団収容の施設児達の成長のゆがみを、ホスピタリズムと称して問題にしてきたのに、このところ施設のホスピタリズムうんぬんは関係者の間でもあまり問われなくなった。それは、施設児と、一般家庭児との成長上の差異がそれほど目立ったものではなくなってきたからであろう。つまり、一般家庭児の方の成長のゆがみが大きくなり、ホスピタリズムはいまや、親から離れた子どもの育つ養護施設内部だけの問題でなくなってしまったからだといえる。すこし誇張かも知れないが、国中が、一つの施設のようなものになってしまいつっあるような感がある。ホスピタリズムは、いまや一般の問題であり、これが一般とたってしまえば、大多数の比較対照群との比較においてホスピタリズムの問題がとらえられていた時代とは異なり、『みんなそうたんだ。それで普通なのだ。別に珍しいことでもない』というとらえ方がされるようになる。さて、いまや一般的になったホスピタリズムの問題の核はなにかというと、つまり、自分というものがない、の一言につきる」と。

 - 親と子供の問題

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